音源紹介

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大衆歌謡を築いた人たち

芸能史家・倉田喜弘


 音楽にとって、日本の近代社会は非常に居心地が悪かった。具体的な例を挙げる。

 お雇い外国人のルルー(Charles Lerour, 1851-1926) が明治18年(1885)、陸軍の行進歌「抜刀隊」(詞外山とやま正一)を作ったところ、天皇もお好みになる。そこで陸軍省は、全国の兵隊に軍歌伝習を科したが、半年と経たないうちに指令を撤回した。方言が災いしたのであろう。<注1>

 一方、小学校での音楽教育は、明治20年代にようやく始まる。しかし唱歌の授業は知育や徳育に役立たなかったようで、子供たちは授業時間中に教室で遊び廻る。評判の悪い学科「唱歌」は、随意科目とはいえ、カリキュラムから外す学校が多かった。

 明治期の様相を集大成した歌声が、大正初期における松井須磨子のレコードといえよう。そうした旧態を一変するのが、昭和の初め。円盤の技術開発もあってレコード会社の設立が相次ぎ、歌手、作詞家、作曲家が多数輩出する。なかでも歌手への憧れは、一般庶民の歌唱力アップをもたらす。ついては、昭和初期に活躍した多彩な人物の中から8名を選び、生年順に経歴と主な作品を略記する。<注2>

1 中山晋平

 中山晋平(1887-1952)。作曲家。"大衆歌謡の父"と尊敬された。長野県生まれ。東京音楽学校卒業。芸術座『復活』の挿入歌『カチューシャの唄』(歌:松井須磨子、詞:島村抱月・相馬御風、1914年京都・東洋蓄音器)が初の作曲。大正期には、『ゴンドラの唄』(中世のベネチアで流行、16年発売)、これは黒澤明監督の映画『生きる』(52年)で甦った。そのほか「生ける屍」「カルメン」など舞台で話題になった作品を、日本蓄音器商会(コロムビアの前身)が発売する。昭和期には、日活映画の宣伝歌『東京行進曲』(歌:佐藤千夜子、詞:西条八十、29年ビクター)は世間注視の試み。ほかに童謡『証城寺の狸囃子』(歌:平井英子、29年ビクター)、新民謡『三朝(みささ)小唄』(歌:葭町二三吉、29年ビクター)など多数作曲。<注3>

→『東京行進曲』を聴く

2 西条八十

西条八十 『現代日本詩人全集』第5巻 創元社, 1954, p.217. 西条八十
『現代日本詩人全集』第5巻 創元社, 1954, p.217.

 西条八十(1892―1970)。詩人。作詞家。東京府生まれ。早稲田大学教授。日活映画の挿入歌『東京行進曲』(歌:佐藤千夜子、曲:中山晋平、1929年ビクター)は、音楽評論家の伊庭孝と論争をひき起す。要旨を記すと、伊庭は歌の低俗さを指摘し、立派な詩が書ける作詞者であるから、欧米のように格調の高い歌をと注文する。それに対して西条は、現状を書くからこそ共感を呼ぶのだと反論した<注4>。松竹映画『愛染かつら』の主題歌『旅の夜風』(歌:霧島昇、曲:万城目正、38年コロムビア)は大ヒット。戦後も『トンコ節』(歌:久保幸江・楠木繁夫、曲:古賀政男、49年コロムビア)ほか作詞多数。芸術院会員。<注5>

→『トンコ節』を聴く

3 東海林太郎

東海林太郎(1898-1972)。歌手。秋田県生まれ。早稲田大学卒業。満鉄を退職して歌謡界へ。「赤城の子守唄」(詞佐藤惣之助、曲竹岡信幸、1934年ポリドール)や「野崎小唄」(詞今中楓渓、曲大村能章、35年ポリドール)は、日本的な情感を漂わせた名曲であり、直立不動で歌う姿が好印象を持たれた。ラジオの国民歌謡「椰子の実」(詞島崎藤村、曲大中寅二、36年。同年ポリドールで発売)は、世代を問わずに愛唱された。<注6>

4 古賀政男

「わたくしの顔・作曲家」『家庭よみうり』 1954, 378号, p.20-21. 古賀政男
「わたくしの顔・作曲家」『家庭よみうり』 1954, 378号, p.20-21.

 古賀政男(1904-78)。作曲家。福岡県生まれ。明治大学卒業。ギターの伴奏で七五調二句からなる『酒は涙か溜息か』(歌:藤山一郎、詞:高橋掬太郎、1931年コロムビア)ほか、哀愁漂う旋律は"古賀メロディー"と呼ばれ、日本人の心をとらえた。『誰か故郷を想はざる』(歌:霧島昇、詞:西条八十、40年コロムビア)や『悲しい酒』(歌:美空ひばり、詞:石本美由起、66年コロムビア)は大ヒット。国民栄誉賞。<注7>

→『酒は涙か溜息か』を聴く

5 万城目正

「わたくしの顔・作曲家」『家庭よみうり』1954, 378号, p.20-21. 万城目正
「わたくしの顔・作曲家」『家庭よみうり』1954, 378号, p.20-21.

万城目正(1905-68)。作曲家。北海道生まれ。武蔵野音楽学校卒業。松竹映画『愛染かつら』の主題歌『旅の夜風』(歌:霧島昇・ミス・コロムビア、詞:西条八十、1938年コロムビア)は、40年代後半に至るまで広く各階層で歌われた。松竹映画『そよかぜ』に登場した『リンゴの唄』(歌:並木路子、詞:サトウハチロー、46年コロムビア)は戦後初の流行歌になる。当時の世相を現わす時には、必ず用いられる歌でもある。そのほか、ヒット作は多い。

→『旅の夜風』を聴く

→『リンゴの唄』を聴く

6 服部良一

 服部良一(1907―93)。作曲家。大阪府生まれ。ジャズ゙調の代表は『別れのブルース』(歌:淡谷のり子、詞:藤浦洸、1937年コロムビア)。『湖畔の宿』(歌:高峰三枝子、詞:佐藤惣之助、40年コロムビア)は退廃的で、戦時下にふさわしくないと発売禁止になったが、戦後よみがえる。『東京ブギウギ』(歌:笠置シヅ子、詞:鈴木勝、48年コロムビア)は笠置のステージとも相まって、終戦後の日本人に活力を与えた。国民栄誉賞。<注8>

→『湖畔の宿』を聴く

→『東京ブギウギ』を聴く

「わたくしの顔・作曲家」『家庭よみうり』1954, 378号, p.20-21. 服部良一
「わたくしの顔・作曲家」『家庭よみうり』1954, 378号, p.20-21.

「笠置シヅ子と三大名物」『スタア』1946, vol.1, no.5. 笠置シヅ子
「笠置シヅ子と三大名物」『スタア』1946, vol.1, no.5.

7 古関裕而

 古関裕而(1909-89)。作曲家。福島県生まれ。東京日日新聞(現毎日新聞)の懸賞入選作『露営の歌』(歌:中野忠晴・松平晃・伊藤久男・霧島昇・佐々木章、詞:籔内喜一郎、1937年コロムビア)。『暁に祈る』(歌:伊藤久男、詞:野村俊夫、40年コロムビア)とともに叙情的な曲調で、広く愛唱された。放送劇『君の名は』の主題歌(歌:織井茂子、詞:菊田一夫、53年コロムビア)は、映画化とも相まって女性に評判が良く、大ヒットした。<注9>

→『暁に祈る』を聴く

→『君の名は』を聴く

8 藤山一郎

濱田百合子「藤山一郎さんとお話しする」『近代映画』 1947, vol.3, no.7. 藤山一郎
濱田百合子「藤山一郎さんとお話しする」『近代映画』 1947, vol.3, no.7.

 藤山一郎(1911-93)。歌手。東京府生まれ。東京音楽学校卒業。『酒は涙か溜息か』(詞:高橋掬太郎、曲:古賀政男、1931年コロムビア)は大ヒットし、映画化される。すがすがしい歌声で、「東京ラプソディー」(詞:門田ゆたか、曲:古賀政男、36年テイチク)、東宝映画の主題歌『青い山脈』(詞:西条八十、曲:服部良一、49年コロムビア)などを、さわやかに歌い上げた。国民栄誉賞。<注10>

→『青い山脈』を聴く

 ここに記したのは一例に過ぎないが、日本人はスターへの憧れを通して歌の楽しさを味わい、歌う歓びを知る。そして、戦後の開花期(のど自慢、カラオケ)へと向かう。

 〔参考文献〕

 <注1>倉田喜弘『日本近代思想大系 芸能』 岩波書店, 1988.

 <注2>倉田喜弘「『小学唱歌集』解説」『新日本古典文学大系明治編・教科書 啓蒙文集』岩波書店, 2006.

 <注3>中山卯郎『中山晋平作曲目録・年譜』豆の樹社, 1980.

 <注4>倉田喜弘『日本レコード文化史』岩波現代文庫, 2006.

 <注5>西条八十『唄の自叙伝』生活百科刊行会, 1956. 

 <注6>岩間芳樹『一唱民楽』東海林太郎歌謡芸術保存会, 1984.

 <注7>古賀政男『自伝わが心の歌 』展望社, 2001.

 <注8>『私の履歴書 文化人14』日本経済新聞, 1984.

 <注9>古関裕而『鐘よ鳴り響け』日本図書センター, 1997.

 <注10>池井優『藤山一郎とその時代』新潮社, 1997.

(芸能史家・倉田喜弘・くらた よしひろ)

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