音源紹介

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※本文中の【館内限定公開音源】は、国立国会図書館および歴史的音源配信提供参加館で聴くことができます。



日本オペラ史の足跡~三浦環から≪夕鶴≫まで

昭和音楽大学オペラ研究所・関根礼子

概説

 日本人が西洋のオペラを初めて演出付きで全幕舞台上演したのは1903(明治36)年のことだった。東京音楽学校奏楽堂で招待客のみを対象に公開公演されたグルック作曲《オルフォイス》(オルフェオとエウリディーチェ)がそれで、百合姫(エウリディーチェ)に柴田環(後の三浦環)、オルフォイス(オルフェオ)に吉川やま、アモオル(アモーレ)に宮脇せんが出演した。これを大きなきっかけとして国内での歌劇・オペラ活動は多様に展開するようになり、今日まで110年以上に及ぶ歴史を刻んでいる。その前半に当たる1950年代くらいまでの様子は特に、今日ではイメージしにくい面もあるが、残された音源を通して概観をたどることができる。

1 三浦環<晴れた日の>: コロムビア、商品番号(レコード番号)26520

三浦環三浦環
杉浦善三編『三浦環女史大演奏会曲目解説』1922, 口絵ページ.

 三浦環(1884~1946)は日本人として初めて国際的に活躍したオペラ歌手である。1914(大正3)年に渡欧し、プッチーニ作曲《蝶々夫人》の主役を中心に欧米で活躍した。1935(昭和10)年に永住帰国。《蝶々夫人》の代表的アリア<晴れた日の>(ある晴れた日に)は、レコードなどを通じて多くの日本人に聴かれ、歌劇《蝶々夫人》の作品名と三浦環の名前とが一躍有名になった。アリアの内容は、長崎に残された蝶々さんが夫ピンカートンの戻ってくるのを信じてひたすら待つ心を歌うもの。

→<晴れた日の>を聴く 【館内限定公開音源】

2 原信子<みんなが私をミミと呼びます>: コロムビア、商品番号(レコード番号)A-20036

原信子原信子
藤山宗利著『日本歌劇俳優写真名鑑』歌舞雑誌社,1920, p.14.

 三浦環に続いて国際的な活動をした日本人ソプラノ歌手の一人に原信子(1893~1979)がいる。帝国劇場歌劇部、ローヤル館、浅草オペラなどで活動した後、欧米に渡り、1928(昭和3)年からはイタリアのミラノ・スカラ座に日本人として初めて出演した。1934(昭和9)年に帰国し、戦後は原信子歌劇研究所でイタリアオペラの日本初演、訳詞、演出などにも活動した。この音源ではプッチーニ作曲《ラ・ボエーム》のアリア<みんなが私をミミと呼びます>(私の名はミミ)が原語で歌われており、イタリアにおける原信子最盛期の歌唱を彷彿とさせる。

→<みんなが私をミミと呼びます>を聴く 【インターネット公開音源】

3 宝塚少女歌劇団 お伽歌劇《薔薇の精》(上)(下): ニットー、商品番号(レコード番号)1350

 西洋のオペラを受け入れるだけでなく、日本語の台本に西洋音楽の様式で作曲した日本オペラを創作する動きも、オペラ導入の最初期から始まった。1905(明治38)年に初演された北村季晴作曲《露営の夢》を皮切りに多様な路線が展開。そのなかにお伽歌劇と称される一群があった。宝塚少女歌劇では1914(大正3)年の発足当初、オーケストラ付きで独唱や合唱をセリフでつなげて物語をたどるオペレッタ風のお伽歌劇をいくつか上演している。子どもたちにも親しみやすい簡明な音楽劇の誕生である。

→お伽歌劇《薔薇の精》を聴く 【館内限定公開音源】

4 田谷力三<君が姿見し日>: ビクター、1932年、商品番号(レコード番号)52059

田谷力三田谷力三
森富太著『日本歌劇俳優名鑑』活動倶楽部社,1921, p.29.

 オペラが幅広い人々の歓心を呼び、日本で最初のオペラブームというべき社会現象となったのが、「浅草オペラ」である。最盛期は1916(大正5)年ごろからほぼ10年と長くは続かなかったものの、そこでの話題は今でも語り草になっているほどの影響力があった。田谷力三(1899~1988)は浅草で最も人気のあったテノール歌手。その最盛期の歌唱が、フロトー作曲《マルタ》からのアリア<君が姿見し日>で聴ける。

→<君が姿見し日>を聴く 【館内限定公開音源】

5 関屋敏子<恋はやさし>: ビクター、1929年

 スッペ作曲のオペレッタ《ボッカチオ》も浅草オペラで人気を呼んだ演目の一つである。劇中の有名なアリア<恋はやさし>を、関屋敏子(1904~1941)が訳詞(小林愛雄)で歌っている。関屋も国際的に活動したソプラノ歌手の一人で、自身が作曲したオペラ《お夏狂乱》で主役を歌った音源も残されている。

→<恋はやさし>を聴く 【館内限定公開音源】

6 藤原義江<岩にもたれた>: ビクター、1931年、商品番号(レコード番号)13110

 オベール作曲《フラ・ディアボロ》のなかの有名な一曲。これも浅草オペラでの人気演目の一つだった。藤原義江(1898~1976)は1920(大正9)年渡欧、その後アメリカに渡り、1923(大正12)年に一時帰国した際、朝日新聞の「我等のテナー」という連載記事で一躍有名になった。1934(昭和9)年に主演したプッチーニ《ラ・ボエーム》公演は、後に藤原歌劇団第1回公演と位置付けられている。藤原義江のオペラ関係の音源にはほかに《リゴレット》より<女心の歌>、《椿姫》より<乾杯の歌>などがある。

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藤原義江

藤原義江
『婦女界』1933, vol.47, no.2

藤原義江

藤原義江―《リゴレット》のマントバ公爵
『婦女界』1933, vol.47, no.2

7 佐藤美子<ハバネラ>: コロムビア、1927年、商品番号(レコード番号)25205

 メゾソプラノ歌手の佐藤美子(よしこ)(1903~1982)はビゼー《カルメン》の表題役を得意とし、フランス留学中(1928~32)には同国でもカルメンなどを歌ったという。劇中最高の聴かせどころ<ハバネラ>を収録したこのレコードは、渡欧前1927年に発売されたもので、ピアノ伴奏ながら原語での歌唱。「カルメンお美(よし)」と称賛された佐藤の若き日を偲ばせる。

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8 川崎静子<君よ知るや南の国>: ビクター、1951年、商品番号(レコード番号):NK-3090

 藤原歌劇団に次ぐ主要歌劇団体として二期会が発足したのは1952(昭和27)年だった。創設メンバーの中心を担った声楽家のうちの一人として今日知られる川崎静子(1919~1982)は、アルト歌手としてしっとりとした一曲を音源に残している。<君よ知るや南の国>は当時ヒットし、単独でもよく知られるが、もとはトマ作曲のオペラ《ミニヨン》の劇中歌である。三浦環、佐藤美子、四家文子(1906~1981)、三枝喜美子(1921~2000)らもこの曲の音源を残している。

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9 マンフレット・グルリット指揮<乾杯の歌>: ビクター、1952年、商品番号(レコード番号)NH-2027

 ドイツの指揮者マンフレット・グルリット(1890~1972)はナチスを逃れて1939(昭和14)年来日。戦後はグルリット・オペラ協会を発足させるなど、日本のオペラ界で指導的役割を果たした。この音源では、ヴェルディ《椿姫》より<乾杯の歌>を藤原義江のアルフレード、大谷洌子(1919~2012)のヴィオレッタで指揮している。藤原歌劇合唱団、ビクター・オーケストラが出演。

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10 《夕鶴》(一)~(八): ビクター、1952年、商品番号(レコード番号)NH-2032~NH2035

 戦後、日本オペラの創作面でけん引的役割を果たした作品が、1952(昭和27)年に初演された《夕鶴》だった。木下順二の同名の戯曲に團伊玖磨(1924~2001)が作曲したオペラで、その後、今日まで上演回数は800回を超える。全曲録音は何度か行われているが、この音源は今は亡き柴田睦陸(1913~1988)の与ひょう、大谷洌子のつうなどが初演当初の雰囲気を伝えている。

→《夕鶴》を聴く 【館内限定公開音源】

(昭和音楽大学オペラ研究所・関根 礼子・せきね れいこ)

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