音源紹介

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※本文中で紹介する音源は、国立国会図書館および歴史的音源配信提供参加館で聴くことができます。



「木琴の時代」を聴く

木琴奏者・通崎睦美

(2019年2月27日掲載)

 誰もが一度は触れたことのある楽器、「木琴」。しかし、その有りようは、打楽器を専門に勉強した人達にさえ、あまり知られていない。

 1910(明治43)年、陸軍戸山学校軍楽隊が日英博覧会に派遣され、おみやげとしてヨーロッパの木琴を持ち帰ったところから、日本のクラシック音楽界における木琴の歴史が始まった。大正時代になると、「木琴三羽ガラス」と呼ばれた、小森宗太郎、亀井湘南<図1>、星出義男。そして、「ハタノ・オーケストラ」所属、後に編曲家として大成する仁木他喜雄らが活躍する。1920年代の日本で、木琴(xylophone、シロフォン、シロホン)は、大変人気だったようで、木琴をアンサンブルの一員とした楽団は「シロホン管弦楽」「木琴調和楽」などと名付けられた。当時のレコードには、木琴の専門家の録音と、音楽の心得のあるものがメロディーに彩りを添える程度のものが混在している。黎明期ならではといえるだろう。

 1930年前後には、アメリカのトップメーカー、ディーガン社(シカゴ)の銘器で演奏する奏者が増え始める。後にアメリカで活躍し「世界一の木琴奏者」と称される平岡養一を筆頭に、平岡の終生のライヴァル・朝吹英一、天才児童と話題になった岩井貞雄<図2>、芸妓のパフォーマンス集団「河合ダンス」など。1930(昭和5)年に平岡が渡米した後も、彼らの他、美人木琴奏者として人気を得た渡邊秀子らが録音を残している。1942年(昭和17年)、アメリカから平岡養一が帰国。演奏会、レコード録音にと活躍する。一方で朝吹英一はハワイアン・バンドを結成し、木琴のみならずヴィブラフォン、スティール・ギターを用いて演奏活動を行った。

 戦後もしばらくは木琴人気が続くが、1950(昭和25)年、自らがマリンバ奏者であるアメリカ・メソジスト教会のローレンス・L.ラクーア牧師率いる「ラクーア音楽伝道団」が来日<図3>。マリンバを使って音楽による伝道をはじめたことを機に、時代の嗜好は木琴からマリンバへと移っていった。

 歴史的音源(以下「歴音」)では、木琴の黎明期から全盛期、そしてマリンバへの移行期の音源を聴くことができる。

 木琴の巨匠・平岡養一の生涯とそれをとりまく時代、また木琴とマリンバの違いなどについて詳しくは、拙著『木琴デイズ 平岡養一「天衣無縫の音楽人生」』(講談社、2013)をご参照いただきたい。

亀井湘南

図1 紋付き袴姿で木琴を演奏する海軍軍楽隊所属、亀井湘南。ヨーロッパスタイル、鍵盤が縦に並んだ木琴を使用している。
『オリエントレコード 7月新譜カタログ』(オリエントレコード、1922)

岩井貞雄

図2 ディーガン社の木琴を演奏する岩井貞雄、当時13歳。「第二の平岡」と将来を嘱望されたが、37歳の若さで夭逝した。
『アサヒグラフ』第15巻、第14号 (朝日新聞社、1930)

全日本ラクーア音楽伝道

図3 全日本ラクーア音楽伝道のプログラム。一行を率いるのは、牧師であり、マリンバ奏者でもあるローレンス・L.ラクーア氏。ハープ担当のミルドレッド・ラクーア夫人は、夫と共にマリンバも演奏した。
『全日本ラクーア音楽伝道 曲目と解説』(キリスト新聞社、1950年代)

  

○黎明期の木琴 ~ ゼームス・ダン『おもちゃの汽車』(ニッポノホン、1928年5月発売) 他

  

Deagan Super Lite-Wate Xylophone No.834

図4 写真:中川忠明
Deagan Super Lite-Wate Xylophone No.834(ディーガン社、アメリカ、1920年代)
平岡養一が1928年、デビュー・リサイタルで用いたものと同型の楽器。1920年代の日本では、パイプのない卓上木琴やこのように椅子に座って演奏するタイプが主流だった。

 残念ながら、黎明期のプロの演奏は歴音に収録されていないが、いくつかの、当時ならではの、素朴で微笑ましい演奏を聴くことができる。

 『おもちゃの汽車』で木琴を弾く、ゼームス・ダン(James Dun)は、明治期の駐日米国公使も務めた、エドウィン・ダンの二男で、本業はピアニスト。声楽家であり、後に音楽院を開き後進の指導に努めたピアノ担当のダン・道子は、ゼームスの夫人。木琴はメロディーを簡単に装飾しつつ、子どもが木琴と戯れているが如く、重音やグリッサンドを効果的にはさむ。木琴奏者・平岡養一は、幼少時、このゼームスにピアノの手ほどきを受けていたが「手が小さい」という理由で突然破門され、後に木琴と出会い大成した。この音源では、そんなエピソードから受ける「鬼教師」のイメージからはほど遠い、愛らしい木琴の音色が聴ける。妻の道子に誘われ、気軽に録音に参加したような様子。簡易な卓上の木琴を木製のバチで演奏していると思われる<図4>

○「河合ダンス」の挑戦 ~ 河合ダンス少女団『軽騎兵』(ビクター、1930年12月発売) 他

 「河合ダンス少女団」とは、大阪、南地宗衛門町のお茶屋の主人・河合幸七郎が1922(大正10)年に創設した、芸妓のダンス団「河合ダンス」。全盛期には27名の団員を擁し、海外の最先端芸術を取り入れて活動した。『軽騎兵』では、タップダンスもこなしたという菊弥(当時18歳前後)が木琴を担当。軽快に弾きこなしている。アメリカでは、すでにこの曲は木琴の定番曲の一つだった。木琴の先駆者・ジョージ・ハミルトン・グリーンが、1916年エジソン社と契約し、発売したレコードの宣伝文句にはこのように書かれている。「多くの木琴奏者によって演奏されてきた木琴向きの名曲『軽騎兵序曲』。もしあなたがすでにそのレコードを何枚か持っていたとしても、これがベストの1枚となるだろう。」8分の6拍子のやや難しい譜割りの楽譜を読み切れていない部分もあることから、菊弥はこのようなレコードをお手本として練習を進めたのではないか。橋爪節也『モダン心斎橋コレクション〜メトロポリスの時代と記憶』(国書刊行会、2005、p246)に、ロシア・バレエ風の斬新な衣装を着け木琴に向かう、河合ダンス所属せき子の写真がある。この写真から、本録音で使用したのも当時の日本では珍しかったディーガン社製の本格的な木琴と考えられる。

○木琴の巨匠・平岡養一 ~ 平岡養一『ルーマニア狂詩曲第1番』(ビクター) 他

平岡養一

図5 平岡養一(1950年代)
「北九州労音C・M8月例会」プログラムより

 平岡養一<図5>(1907-1981)の演奏人生において、その演奏スタイルを、3つにわけることができる。

  • ●第1期「デビュー(1928)から渡米まで(1930)」
    独学で木琴を学び、我流で弾いていた時代。
  • ●第2期「渡米(1930)から帰国後の1960年頃まで」
    アメリカでのピアノ伴奏者、ウラディーミル・ブレナーとレオ・ロサートに音楽の基礎をたたき込まれ、楽譜を読み込み楽譜に則って演奏することを覚えた時代。
  • ●第3期「1960年頃から晩年」
    演奏に、古楽でいう「イネガル」のような、不均等な揺らぎ、あるいはうねりがみられ、それが平岡独特の味となっていく時代。積極的に、歌謡曲など幅広い楽曲をレパートリーに収めた。

 歴音に収録された平岡の音源は、いずれも第2期、正統派クラシック演奏家を標榜した頃のものといえる。表現の自由度が高い曲も、平岡はその幅を最小限に抑えて上品にまとめている。

 ここでは、『ルーマニア狂詩曲第1番』を紹介したい。

 平岡養一は、独学で木琴を学び、慶応義塾大学経済学部在学中1928(昭和3)年にデビュー。翌年、ポリドールで10枚のレコードを録音。その吹き込み料を持って1930(昭和5)年に単独渡米する。NBCと専属アーティストの契約を結び、10年9ヶ月毎朝ラジオの生放送で木琴を演奏し人気者となった<図6><図7>。日米開戦で帰国を余儀なくされるも、日本では「超人的神業に全米はひれ伏した」と喧伝され、多くの演奏の場を与えられた。本作は「平岡養一帰朝第一回独奏会」(日比谷公会堂、1942(昭和17)年、12月20日)でも演奏された作品。アメリカで平岡の伴奏を務めたレオ・ロサートによって1940年に編曲された<図8><図9>

平岡養一

図6 写真:David Harvey氏提供
アメリカ三大ネットワークの一つ、NBCと専属契約し活躍した頃の平岡養一。NBCのスタジオにて。

レコード等

図7 写真:中川忠明
アメリカで発売された平岡養一のレコード及びライナーノートと楽譜。
「DECCA presents A XYLOPHONE RECITAL OF CLASSICAL MUSIC played by HIRAOKA」(Decca、1940)
「Celebrated Artist Series Xylophone Album」(Edward B.Marks Music Corporation、1941)

平岡養一アルバム

図8 写真:中川忠明
第二次世界大戦中に発売されたレコードと演奏会プログラム
「平岡養一アルバム」(ビクター、1943)
『ルーマニア狂詩曲第1番』について、以下の解説がある。「これは齋藤秀雄氏の指揮で東京交響楽団が演奏する爽快・優麗な管弦楽を背景に木琴の名手、平岡養一がその見事な木琴独奏を見せるレコードです。明解で透明な快い管弦楽の音彩の美しさ、その上に軽快に走る木琴の玲瓏玉を転がすが如き美趣。皆さんは無条件にこのレコードを愛するでせう。」
「平岡養一木琴独奏会 帰朝第一回地方発表」(主催・藤原義江歌劇団、中央座、1943)

楽譜とバチ

図9 写真:中川忠明
平岡養一が戦中に日米交換船で持ち帰り使用した楽譜とバチ。
左上が『ルーマニア狂詩曲第1番』のピアノ伴奏版で、編曲者レオ・ロサートのサインが入っている。右下は、当時の恋人・静子にプロポーズするためニューヨークでのデビュー・リサイタルのアンコールで演奏した『エストレリータ』。

○木琴の貴公子・朝吹英一 他

朝吹英一

図10 高輪の自宅にて、若き日の朝吹英一(1927年頃)
『朝吹英一先生回想録』(日本木琴協会、1994)

 朝吹英一<図10>は、1909(明治42)年生まれ。システムとプラントの総合商社「千代田組」創業者、三越、朝日生命の社長を歴任した実業家、朝吹常吉の長男。妹に、F.サガン『悲しみよこんにちは』の翻訳者として知られる朝吹登美子がいる。幼少時から音楽に親しみ、作曲を含む正統派の音楽教育を受けた。その演奏からは、育ちのよさがにじみ出る上質の音楽を聴くことができる。歴音で「朝吹英一」を検索すると、21の音源がヒットするが、そこには、木琴、ヴィブラフォン奏者、作・編曲家として参加したハワイアン・バンド「カルア・カマアイナス」(戦時中は「南海楽友」として活動)も含まれる。明るく弾むような音楽は、若者の健全な娯楽をイメージさせる<図11>。なお、朝吹は、輸入盤のレコードで木琴の演奏を聴き、その音色に魅せられ木琴を始めた。当時アメリカで活躍した、木琴界の先駆者・ジョージ・ハミルトン・グリーンらのレコードも「歴音」で視聴可能。胸がすくような鮮やかなテクニックが聴きものだ<図12>

陽炎もえて

図11 楽譜『陽炎もえて』(新興音楽出版社、1941)
「南海楽友愛曲譜」としてカルア・カマアイナスのレパートリー全10曲の楽譜が発売されている。定価金20銭。

George Hamilton Green’s Xylophone Solos

図12 『George Hamilton Green’s Xylophone Solos』(Sam Fox Pub. Co.)
アメリカにおける木琴の第一人者・ジョージ・ハミルトン・グリーン、自作の木琴曲集。

○マリンバ時代の到来 ~ 小宅勇輔『雨降りお月、花嫁人形』(ビクター、1954年3月発売) 他

 ソリスティックに音が通る木琴の音色に対して、マリンバは他の楽器ともよく溶け合う柔らかな音色を持っている。比べて聴くと興味深い。ここで紹介する3つの音源でマリンバを演奏するのは、東京藝術大学打楽器科教授を務めた小宅勇輔。NHK交響楽団首席奏者、東京藝術大学教授を務めたフルート奏者、吉田雅夫、パリで学んだ阿部よしゑのハープとのアンサンブル。それぞれの楽器の特性を活かした芥川也寸志、飯田信夫の編曲も聴き所となっている。

(木琴奏者・通崎 睦美・つうざき むつみ)

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