音源紹介

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※本文中で紹介する音源は、国立国会図書館および歴史的音源配信提供参加館で聴くことができます。



古関裕而が全国各地へ「エール」を送るメロディー

日本大学准教授・刑部芳則

(2021年2月25日掲載)

 作曲家古関裕而は生涯に5,000曲の作品を世に出した。歌謡曲・自治体歌・軍歌・校歌・社歌・団体歌・新民謡・童謡・映画音楽・舞台音楽・放送音楽と、その音楽の幅は広い。古関メロディーの魅力は、クラシック音楽の作曲法からくる格調の高さと、大衆の心情に寄り添った楽曲づくりによる聴きやすさとが融合しているところにある。

 古関の出世作は、職業作曲家としてデビュー曲を発表した昭和6年(1931)の早稲田大学の応援歌「紺碧の空」である。そして集大成の曲は、昭和39年(1964)のオリンピック東京大会の入場行進曲「オリンピック・マーチ」だ。両曲とも勇壮なマーチで、古関が吹奏楽の作曲を得意としていたことがわかる。

 こうしたスポーツに関係する楽曲は、どれも心が浮き立つ力強い応援歌という要素が強く出ている。だが、古関が大衆のために作った楽曲には、そうした曲調とはまた違う曲調を持つ応援歌が数多く存在する。全国各地の見どころを歌った曲も例外ではない。各地の人々を慰め、励ます効果を持っている。地域振興という目的に向かって、県民や市民の心を一つにする。古関は戦前・戦中・戦後と、全国各地へ「エール」を送っていた。以下では、古関が残した音楽による「エール」とも言える作品を、「れきおん」の中からいくつか紹介したい。

(一部画像は刑部氏の提供による)

1.瀋陽小唄(昭和10年1月20日発売、作詞・卜蔵諄良、歌・伊藤久男)

瀋陽の浪速通

瀋陽の浪速通
(『世界地理風俗大系 I』新光社, 1930年)

 古関は日本の内地に限らず、戦前には外地の歌も書いている。昭和7年(1932)には「我等の満洲」「元山行進曲」「阿里山小唄」「我等の平壌」「大連行進曲」、同9年には「旅順行進曲」を発表している。昭和6年に満州事変が起ると、日本の関東軍は瀋陽を占領し、奉天市政府が置かれた。瀋陽には多くの日本人が住んでおり、そこを題材とした新民謡として昭和10年(1935)1月に発売されたのが「瀋陽小唄」である。曲調からは、当時人気のあった作曲家江口夜詩の新民謡を髣髴とさせる。古関は昭和14年(1939)に満州国の国都を題材にした「国都音頭」も作曲している。

2.躍進四日市(昭和11年3月25日発売、作詞・高橋掬太郎、歌・伊藤久男)

国産振興四日市大博覧会

国産振興四日市大博覧会
(『国産振興四日市大博覧会協賛会誌』国産振興四日市大博覧会協賛会, 1937年)

 「躍進四日市」は、昭和11年(1936)3月25日から5月13日まで三重県四日市で開催された「国産振興四日市大博覧会」の宣伝歌として作られた。博覧会場内では拡声器によって放送され、市内のいたるところでもレコードがかけられた。当時の記録では「流暢たる旋律は人の心を浮き立たせ博覧会気分を彌が上に煽り立てた」と言う。博覧会の来場者数は1,245,092人という盛況ぶりであった。だが会期を終えると、「躍進四日市」は次第に人々の記憶から消え、現在では四日市市民でも知る人は皆無に等しい。

3.大富山行進曲(昭和11年3月25日発売、作詞・安藤やすを、補作・コロムビア文芸部、歌・伊藤久男)

「大富山行進曲」の歌詞カード

「大富山行進曲」の歌詞カードより
(日本コロムビア所蔵)

 「大富山行進曲」は、昭和11年(1936)3月に新愛知・富山タイムスの懸賞当選歌として発売された。当時は東京が「大東京」、名古屋が「大名古屋」と呼ばれるようになったことに続き、富山から「大富山」になるための地域振興が望まれた。「大〇〇」や「躍進〇〇」という新民謡が数多く作られたのは、そうした各地の発展の思いが込められていた。作曲家の中山晋平は「東京音頭」、佐々紅華は「大阪音頭」、江口夜詩は「大名古屋祭」の題名と詞の内容だけを替えて「〇〇音頭」や「〇〇行進曲」を量産化した。だが、古関はそのような使い回しをしなかったことが「躍進四日市」と聴き比べればわかる。

4.郷土部隊進軍歌(昭和13年7月10日発売、作詞・野村俊夫、歌・霧島昇)

 「郷土部隊進軍歌」は「銃後県民の歌」の裏面としてカップリングされた。作詞の野村俊夫、歌った霧島昇はともに福島県出身であった。古関の地位を不動のものにした「露営の歌」によく似た旋律であり、古関が福島県民のために書いた「露営の歌」と言える。福島民報社は、昭和13年(1938)5月に「銃後県民の歌」の懸賞募集を行った。この記事を東京で目にした古関裕而は、福島民報社を訪れて「県民の一員として是非その当選歌詞作曲したい」と申し出た。古関の作曲家人生において積極的に自ら作曲したいと言うのは珍しい。日中戦争下に郷里の人たちを応援したいとの気持ちが行動に出たのだろう。カップリングの「銃後県民の歌」も歴史的音源で聴くことができる。

「郷土部隊進軍歌」の広告

「郷土部隊進軍歌」の広告
(『福島民報』1938年7月23日, 夕刊2面)

5.名古屋かっぽれ(昭和24年4月1日発売、作詞・中部日本新聞社選定歌、歌・近江俊郎、山田陽子)

「名古屋かっぽれ」の発表会

「名古屋かっぽれ」の発表会
(『中部日本新聞』1949年4月17日, 3面)

 「名古屋かっぽれ」は、昭和24年(1949)1月に中部日本新聞社が名古屋市制六十周年記念の選定歌として募集したものである。募集要項には、「軽快なる舞踊に適するもの」と記されている。作詞は作詞家藤浦洸などが審査を行い、1,500編の中から選ばれた。4月16日に名古屋宝塚劇場で行われた「名古屋かっぽれ」の発表会では、鶴田六郎と山田陽子が歌唱した。8月12日の「名古屋かっぽれ盆踊り大会」をはじめ、同月19日の「市民総踊りの夕」、10月1日から3日の「名古屋まつり」などで「名古屋かっぽれ」は踊られた。

6.茨城夜曲(昭和24年11月発売、作詞・新堀一夫、補作・藤浦洸、歌・霧島昇、奈良光枝)

水戸の夜景

水戸の夜景
(朝日新聞社小学生朝日新聞編輯部 編『写真でみる新日本』 昭和29年, p.41)

 昭和24年(1949)8月に茨城の観光地を紹介する目的から茨城県観光連盟が主催し、毎日新聞水戸支局後援で「茨城夜曲」と「水郷音頭」の歌詞募集を行った。1253編の作詞から「茨城夜曲」は新堀一夫、「水郷音頭」は岩崎巌のものが選ばれ、作曲は古関に決まった。「茨城夜曲」は、情緒的な歌謡曲に仕上がっている。同時期にはエキゾチックな曲調の「松江夜曲」や、ブルース調の「高松夜曲」を作曲しており、戦前には見られなかった古関メロディーの変化が聴き取れる。このことからは、古関が進駐軍とともに入ってきた新しい洋楽の旋律を、自分の曲へ取り入れたことがうかがえる。カップリングの「水郷音頭」も歴史的音源で聴くことができる。

7.福島音頭(昭和29年6月発売、作詞・野村俊夫、歌・伊藤久男、神楽坂はん子)

 「福島音頭」は、昭和29年(1954)6月に福島民報社とラジオ福島によって制定され、福島県観光連盟と福島県教育委員会の推薦並びに福島県蓄音器商組合の協賛を受けた、福島市の主要団体が総力を挙げて出した新民謡である。同年8月に古関は福島県知事大竹作摩との対談で、福島県に観光客が集まらないことを宣伝不足だと嘆いている。福島県内の新民謡を数多く作った背景には、作曲家として郷里を盛り上げようとの思いがあった。「福島音頭」とカップリングされた「東山甚句」、同年に作られた「湯本小唄」も歴史的音源で聴くことができる。

「福島音頭」の広告

「福島音頭」「東山甚句」の広告
(『福島民報』1954年6月6日, 6面)

  

※レコードの発売日は日本コロムビアのレコードレーベルのコピーによった。

〔参考文献〕

  • 刑部芳則. 古関裕而―流行作曲家と激動の昭和(中公新書). 中央公論社, 2019.11, 294p
  • 刑部芳則・古関正裕・日本コロムビア監修. 福島民報が伝えた古関裕而. 福島民報社, 2020.8, 95p
  • 国産振興四日市大博覧会協賛会誌. 国産振興四日市大博覧会協賛会, 1937, 383p

(日本大学准教授・刑部 芳則・おさかべ よしのり)

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